スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--年--月--日 スポンサー広告 トラックバック:- コメント:-

「なぜか、仰げば尊しを」

 僕の住むという部屋に案内された。求人広告には、フローリングのワンルームの写真が掲載されていた。まさかと思っていたが、案内されたのは、6畳の畳の部屋だった。「この部屋は、他の二人より広いので、家賃は月々2万4千円になります。」派遣会社の担当の男は、当然のように言ってのけた。なんと、他の部屋より、3千円も高いというのだ。東京に来て始めてその男に反抗した。「畳2枚いらないから安くしてくれ。」男は、苦みばしった顔をしながら、事務的な説明を始めた。
 僕は、のっけから地獄の底に叩き落された。男が言うには、僕が希望して上京してきた派遣先にいけるかどうかまだ分からないというのだ。つまり、ぼくは、行き先も分からないまま招聘された兵隊だったのだ。雇用契約が済めば、2万円支給するとうたい文句にあったが、派遣先が決まるまで支給できないというのだった。財布の中の1万円札がなければ、僕は、無一文で東京生活を始めることを余儀なくされていたのだった。男は何事もなかったように、部屋を去って行った。
 パンツ一枚で現れた男はすでに寝たらしく、僕は静まり返った部屋の中で、孤独感と言うおかずを味わいながら、手作りのラーメンをひたすらすすり続けた。貧乏だった学生時代にもなかった光景であった。
 採用が決まったらしく、翌朝早くその男は、再び僕の部屋に現れた。男が乗ってきたワゴン車に乗ると、北海道出身の男も乗っていた。派遣会社の作業着を渡された。なんとも粗末なものだった。その辺のホームセンターで買えば5百円くらいだろう。昼休みには食堂の前で待ち合わせをして安全靴も渡された。工場内での販売価格は、2千3百円だった。その男は翌月の給料から、作業着代として5千円天引きすることを告げて、工場を後にしていった。
 僕はあまりの現実の酷さに絶望感に溢れていった。その日の作業は、見学がほとんどだったが、何故か7時過ぎまで残業させられた。この先どうなるのだろう?そんな不安感をいっぱいにしながら、冷たい北風の吹く甲州街道をひたすら寮に向かいながら歩き続けた。何故か小さな声で「仰げば尊し」を口ずさみながら。

スポンサーサイト

2008年02月08日 小谷物語 トラックバック:0 コメント:0












管理者にだけ公開する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。